11人が死傷した悲惨な自動車事故の裁判が終わった。最終的には禁錮5年の実刑判決に対して原告、被告共に控訴しなかったため刑が確定した。
被害にあわれた方は、本当にお気の毒だと思う。
中でも、奥さんと娘さんを亡くされた方の辛さは想像を絶するものがある。さらに、その中で何度も気丈にメディアの取材を受けられてコメントされていることが印象的だった。
ただ、そのマスコミに切り取られた発言の中に、非常に考えさせられるものがあった。
最初に判決が出た時、「もう争いを終わらしたいので控訴しないでほしい」といったようなことをおっしゃっていたように記憶しているが。
そして、刑が確定した時、当初無罪を主張していた被告人が、事故を起こしてしまった事実についての罪は認め、刑に服する気持ちを表す一方、自分の過失(アクセルとブレーキの踏み間違い)は認めなかったことに当初から、そして今でも釈然としない思いがあることを話されていた点である。
ここで言えることは、事実は二つに一つであり、「車のトラブル」か「運転手の過失による踏み間違い」のどちらかしかありえないと言う事である。
この点、裁判官は明確に「過失」と認定したわけである。これについてはあとでちょっと述べたいが、罪が確定しても、被害者は、「それでも本人の謝罪が欲しい」と思ってしまっている
これは自然な気持ちであると思うのだが、よく考えるとちょっと不思議な気がする
謝ってもらったらどうなるのだろう?
仮に心から謝ってくれたら許すのだろうか?
もし許せるのであればそれが理想だと思うが、現実には難しい。
だからこそ、テロも戦争も無くならないのだと思う。
大切な人を失ってしまったのだから、おそらく許すことは出来ないのだろう。
言い方は悪いが、
「謝って刑に服せ」
というのが正直な気持ちだろうと思う。
そこで、
「謝ってほしい」
という意識がどこから来るのか考えてみた。
おそらくではあるが、
「謝罪すれば許す」
のではなく、
「謝罪の上で罰を与えたい」
というのであれは、罰を与える側の
「正当性を確認したい」
という気持ちの現れではないだろうか?
裏を返せば、相手が罪を認めていない以上、心の奥底には
「本当に100%悪いとは言い切るのだろうか?、ほんのわずかでも冤罪?の可能性があるのではないか」
との思いがあり、無罪を主張するものへ罰を求める事へ無意識的な罪悪感があるのではないかと思われる。
仮に殺人犯が
「殺そうと思って刺した、思った通りに死んでくれてラッキーだった」
と言い放ったら、それでも「謝ってほしい?」と思うだろうか。
おそらく何も考えずに
「いまさら謝罪などいらない!、死刑にしてくれ」
と考えるのがふつうではないだろうか。
なぜなら、100%完全に悪者だから。
今回の事故に関して言えば、加害者が最初から「殺してやろい」と思って車を暴走させたわけではない可能性が非常に高い。
普通に考えれば、殺意はなかったはずだ。にもかかわらず事故は起きた
事故時、ブレーキとアクセルを間違え10秒以上もアクセルを踏んでいたとの報道がある。
殺意が無かった以上、この時点では本当にブレーキだと思って踏んでいたと考えられる。
だからこそ10秒という長い時間ペダルを踏んでいたのだろう
「まだ止まらない!!」
とどんどん強く踏み、加速していったと考えるのが自然だ。
であれば、本人が「間違えた覚えはない」と主張するのも、ある意味当然だと思う。
もし、「意識的に間違えたのであれば、明らかな殺人行為」なのであるから、本人的には間違えていないのである。
結論から言うと、
「踏み間違えたかどうか」は本人には判定できない。
ということである
ほかの要素をつぶすことによって確定するものである」ということである。
大多数の人は、
「おまえ、間違えたろう」
といわれると、
「そうかもしれません、ごめんなさい」
としぶしぶ認める事になるでしょう。
ただ、今回のように
「いや、間違えていない」
という人も稀に出て来ても不思議ではありません。
そういった人に対しては、やはり明らかな証拠を提出し、罪を認めてもらう(根っからの悪人は別ですが)のが本来のやり方だと思う。
今回そこのところに大きな問題があるように思えます。
あくまで報道された範囲の話ですが、裁判所は、
「自動車に欠陥はなかった」
というメーカーの調査結果をそのまま採用しているように見られます
ただし、その詳細内容はオープンにされていないのではないでしょうか
ここで考えるべき点は、仮にもし車自体に問題があったとしたら、それは想像を絶する大問題で、製造メーカーの存続はもちろん、産業界に大打撃を与えることは間違いない。
であるから、たとえ問題がみつかっても、それを握りつぶし、無かったことにするのはまず間違いない、絶対に問題があったという発表はしないはずだと誰しも考えるという点である。
電子制御である以上CPUにしろメモリにせよ、ごくわずかであっても一定確率のエラーはある。そして、そのエラー回避にはプログラムが絡んでいて、プログラムにはバグ(ミス)がつきものである。何億回に1回といえどもエラーが起こる確率が無いわけでは無い。一億分の一が次に起こらない保証はないのである
今回状況から見ればほぼ100%人為的ミスだと考えられる。だからこそ、もし「車に問題なし」というデータがあるのであれば、万人が納得できるところまでの情報を解放すべきだと思うし、裁判所も責任もってそれを行わせるべきではないかと思う。
それ以外に原告も被告も納得出来る方法はないだろう。
最後に一つ付け加えておきたい。この事件でもっともつらい思いをされた人は、妻子を失った被害者であろう。そして、一番の不幸は、彼が妻子だけでなく心も加害者にコントロールされているように見える事だ。
妻子を奪われた上に自信の心まで加害者に奪われているのは見るに堪えがたい。
難しいとは思うが、出来る事なら加害者に対する想いをすべて手放してほしい。
謝罪は一方的に受けるもので、求めるものではない。基本的には求めて得られた謝罪には、言い方は悪いが、自己満足以上の意味が無いと思う。
一日も早く、被害者が加害者から解放されることを切に願っています
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